京都の異界を歩く

ちょっと変わった京都の探訪記です

安倍晴明を歩く(その1)〜上京編〜

平安時代の陰陽師、安倍晴明。今や知らぬ人もいないだろう。映画やアニメ化までされ大人気だ。京都を代表する"異人"といって良い。その住居も職場も上京にあった。朝廷の陰陽寮で働いていたので、官職にまつわる史跡も多い。そこを歩けば実像が分かってくるだ…

明治維新を歩く(その9)〜岡崎編〜

明治維新を語るとき、会津藩を抜きにしては語れない。会津藩の果たした役割は本当に大きかった。それは京都守護職に任じられていたからだ。会津藩士1000名は京都の岡崎に駐屯した。そして薩摩軍を主体とする新政府軍と戦った。彼らは会津から遠く離れた京都の…

明治維新を歩く(その8)〜淀編〜

鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍は淀方面へ敗走した。淀藩は仲間だったので、一旦かくまってもらって、体制を立て直そうと思ったらしい。しかし淀城の手前で薩摩軍の猛攻を受け惨敗。負傷兵だらけの状態で、淀城に助けを求めた。しかし裏切られる。淀藩は城の門を…

明治維新を歩く(その7)〜鳥羽編〜

明治維新の舞台となった京都。多くの歴史的事件がこの街で起きた。薩摩・長州や新撰組などが暗躍し、坂本龍馬もこの街で亡くなった。 今回は鳥羽を巡る。と言ってもあまり知られてないかもしれない。鳥羽伏見の戦いの鳥羽と言えば分かってくれるだろうか。戦場…

明治維新を歩く(その6)〜伏見編〜

明治維新の舞台となった京都。多くの歴史的事件がこの街で起きた。薩摩・長州や新撰組などが暗躍し、坂本龍馬もこの街で亡くなった。特に伏見は独自の歴史を持っている。ただの"酒蔵と龍馬の街"というだけではない。そんな伏見の意外性も、歩きながら語っていき…

明治維新を歩く(その5)〜天竜寺編〜

明治維新の舞台となった京都。多くの歴史的事件がこの街で起きた。薩摩・長州や新撰組などが暗躍し、坂本龍馬もこの街で亡くなった。嵯峨の天竜寺は、禁門の変において、長州藩の本陣が置かれたために、戦火に巻き込まれた。今回は、その悲劇の歴史を辿ってみたい…

明治維新を歩く(その4)〜二条城編〜

明治維新の舞台となった京都。多くの歴史的事件がこの街で起きた。薩摩・長州や新撰組などが暗躍し、坂本龍馬もこの街で亡くなった。 今回は二条城を巡る。大政奉還の場として、あまりにも有名だ。だがその周辺には、それだけじゃない "異形の歴史" も秘められ…

明治維新を歩く(その3)〜西陣編〜

明治維新の舞台となった京都。多くの歴史的事件がこの街で起きた。薩摩・長州や新撰組などが暗躍し、坂本龍馬もこの街で亡くなった。今回は西陣周辺を回る。この辺りには薩摩藩に関わる史跡が多い。なぜ木屋町ではなく、西陣だったのかも、おいおい語っていきた…

明治維新を歩く(その2)〜清水寺編〜

明治維新の舞台となった京都。多くの歴史的事件がこの街で起きた。薩摩・長州や新撰組などが暗躍し、坂本龍馬もこの街で亡くなった。しかし尊王派の僧侶も活躍していた事は、あまり知られていない。しかも有名な清水寺や西本願寺など、意外と大きなお寺にいたと…

明治維新を歩く(その1)〜木屋町編~

明治維新の舞台となった京都。多くの歴史的事件がこの街で起きた。新撰組や薩摩・長州などが暗躍し、坂本龍馬もこの街で亡くなった。今はほとんど石碑しかないが、それをたどるだけでも思いを巡らすことはできる。京都の重層性の一端を知る手掛かりになる事だ…

羅城門を歩く〜京都の葬送地~

京都の葬送地シリーズ4回目!今回は羅城門!!言わずと知れた"平安京の正門" です。そこが葬送地とは驚くかもしれませんが、平安京に住む庶民の "死体捨て場"となっていたのも事実です。 今回はそんな羅城門に行ったときのことを紹介しましょう。 まずは、近所…

化野への道を歩く(その3)~京都の葬送地~

~ 化野への道を歩く(その2)からの続き ~ 再び伝統的建造物群保存地区を歩く また伝統的建造物群保存地区に戻ってきました。このまま歩いていきましょう。 茅葺き古民家も発見。これは江戸時代の築でしょうか。どの建物も本当に素晴らしい。 ツワブキの花が…

化野への道を歩く(その2)~京都の葬送地~

~ 化野への道を歩く(その1)からの続き ~ 嵯峨野の里山風景を歩く 嵯峨釈迦堂を離れて、また元の"化野ルート"に戻ってきました。 この辺りは “のどかな嵯峨野の里山風景” が広がります。気持ち良いですね。のんびり歩くのに最高です。 嵯峨野には茅葺き古民…

化野への道を歩く(その1)~京都の葬送地~

かつて京の人々は、死者が出ると、周縁の山すそに死体を捨てていました。 そこは葬送地と呼ばれ、特に大規模だった3箇所は三大葬送地と呼ばれました。 清水寺のある"鳥辺野"と、船岡山の西側の"蓮台野"、嵯峨野の先の"化野"です。 今回はそのうち、「化野へ…

蓮台野への道を歩く(その3)~京都の葬送地~

~ 蓮台野への道を歩く(その2)からの続き ~ 人権の町を歩く 千本北大路交差点の東北角地一帯は楽只地区といいます。被差別民の住むエリアで、近現代に至るまで差別に苦しんできた歴史がありました。地政学的にみると鳥辺野ルートとの類似を感じます。鳥辺野…

蓮台野への道を歩く(その2)~京都の葬送地~

~ 蓮台野への道を歩く(その1)からの続き ~ 千本今出川交差点!では千本通を北へ向かいましょう。 釘抜き地蔵 まずは「釘抜き地蔵」へ。苦を抜いてくれる地蔵尊、という事で、様々な苦しみをもった人が訪れます。 釘抜き地蔵(その2)。僕が行ったときも、実…

蓮台野への道を歩く(その1)〜京都の葬送地~

かつて京の人々は、死人が出ると、周縁の山すそに死体を捨てていました。 そこは葬送地と呼ばれ、特に大規模だった3箇所を三大葬送地と言いました。 清水寺のある"鳥辺野"と、船岡山の西側の"蓮台野"、嵯峨野の先の"化野"です。 今回はそのうち「蓮台野へ死…

鳥辺野への道を歩く(その3)〜京都の葬送地~

〜 鳥辺野への道を歩く(その2)からの続き 〜 清水坂を上る 観光客用の巨大駐車場のある辺りから、道の名前も「清水坂」に変わるようです。 観光客も俄然増えてきます。有名なので仕方ない。では上がっていきましょう。 五条坂から上ってくる道との三叉路に到着…

鳥辺野への道を歩く(その2)〜京都の葬送地~

〜 鳥辺野への道を歩く(その1)からの続き 〜 松原通を東へ また松原通に戻ると、すぐに不思議茶屋バラライカの看板。これは何でしょうか。謎です。 不思議茶屋バラライカ(その2)。正式名称は北向地蔵路地です。入ってみると、一番奥に北を向いたお地蔵さんが…

鳥辺野への道を歩く(その1)〜京都の葬送地~

かつて京の人々は、死者が出ると、周縁の山すそに死体を捨てていました。 そこは葬送地と呼ばれ、特に大規模だった3ヵ所は三大葬送地と呼ばれました。 清水寺のある"鳥辺野"と、船岡山の西側の"蓮台野"、嵯峨野の先の"化野"です。今回はそのうち、「鳥辺野…

清水音羽川を歩く(その3)〜京都の廃河川〜

~ 清水音羽川を歩く(その2)からの続き ~ 五条通から南へ 五条通から南へ入っていく道です。でも入る前にアスファルト舗装をよく見ると・・・ 折れていく道のアスファルト舗装や、その右側の側溝をよく見ると、なだらかにカーブしている!これはあきらかに音羽川…

清水音羽川を歩く(その2)〜京都の廃河川〜

~ 清水音羽川を歩く(その1)からの続き ~ "清水焼の郷"に寄り道 五条坂交差点に戻ってきました。せっかく"清水焼の郷" に来たので、ここからしばらく音羽川探索から離れて、寄り道しましょう。 この辺りは、かつて清水焼の拠点でした。その理由を調べると、必ず…

清水音羽川を歩く(その1)〜京都の廃河川〜

かつて清水寺から鴨川へ、「音羽川」という川が流れていました。水源は清水寺の「音羽の滝」。そこから大谷墓地の脇を通り、"清水焼の郷"の真ん中を抜けて、正面橋付近から鴨川へ。ただこの川も、途中から下水道と一体化したり、水系が入れ替わったりと、複雑な運命をた…

轟川を歩く(その3)〜京都の廃河川〜

~ 轟川を歩く(その2)からの続き 〜 物吉村ルート ここから物吉村ルートのスタートです。 西へ歩くと、すぐ右側(北側)に建仁寺の勅使門。天皇陛下やその使いの者が来た時のみ開けられる "建仁寺の正門"です。 さらに歩くと禅居庵。鎌倉時代に創建された建仁寺…

轟川を歩く(その2)〜京都の廃河川〜

~ 轟川を歩く(その1)からの続き ~ 東大路通を横断する 東大路通に出たところから再開しましょう。 まずは東側から。このマンホールの所を轟川が横断してるはずですが、新しいビルが建っていて、痕跡は残っていませんでした。 続いて反対側(西側)を見てみまし…

轟川を歩く(その1)〜京都の廃河川〜

かつて清水寺から鴨川へ、「轟川」という川が流れていました。源流は清水寺の塔頭、成就院あたり。そこから産寧坂や八坂通を横断し、建仁寺の敷地を通って、松原通から鴨川へ。ただ途中は暗渠になったり、下水道と一体化したりとややこしい。一寸法師が遡ったという…

菊渓川を歩く(その3)〜京都の廃河川〜

~ 菊渓川を歩く(その2)からの続き 〜 東大路通を横断する "東大路"通は、かつて"東山"通と呼んでいました。いつからか"東大路"通に変わったらしい。(交差点の表記は"東山"安井交差点のままですが) では交差点から少し南に行って、本来の菊溪川ルートを見てみま…

菊渓川を歩く(その2)〜京都の廃河川〜

~ 菊渓川を歩く(その1)からの続き 〜 ねねの道を南へ ではポートランド コーヒーの前から、"ねねの道"の南側を見てみましょう。 菊溪川はおそらく右側のマンホールに流入しているはず。今では考えられませんが、昭和40年頃まで京都市は、雨水や山水を下水道に流…

菊渓川を歩く(その1)〜京都の廃河川〜

かつて東山から鴨川へ、「菊溪川」という川が流れていました。源流は東大谷墓地の上部の山の中。そこから高台寺の脇を流れて、ねねの道から暗渠になり、石塀小路や団栗通の下を通って鴨川へ注いでいます。かつて上流は菊溪菊の咲き乱れる花園でした。雲居寺の僧が…