菊渓川を歩く(その1)〜京都の廃河川〜
かつて東山から鴨川へ、「菊溪川」という川が流れていました。
源流は東大谷墓地の上部の山の中。そこから高台寺の脇を流れて、ねねの道から暗渠になり、石塀小路や団栗通の下を通って鴨川へ注いでいます。
かつて上流は菊溪菊の咲き乱れる花園でした。雲居寺の僧が芸を披露したり、山根子芸者が舞を舞うなど、まるで竜宮城のような桃源郷だったらしい。
まさに菊溪川という名前に相応しい場所だったようです。その流域を探索する旅に出ましょう。
東大谷墓地の頂点へ
まずは東大谷墓地の入口。この奥に出発点があります。左側の看板を見てみると・・・、
看板をよく見ると、地図の右下に川が描かれています。これが今から探索する菊溪川ですね。では墓地に入っていきましょう。
入ると正面に六角堂。親鸞像が祀られているらしい。
東大谷墓地の全景です。どんどん登っていきましょう。
墓地の頂点に到着しました。ここから上はもう山です。
頂点には、菊溪川の水を貯めているタンクがありました。
京大大学院の樋口忠彦教授の論文「京都盆地における"水みち"の構造と景観形成に関する研究報告書」によると、高台寺庭園と菊乃井庭園は、菊溪川源流から水を引いているらしい。もしかしたら、そのタンクかもしれませんね。
この奥はもう登山道。トレッキングシューズじゃ無いと無理です。観光客スタイルの僕はここまで。
東大谷墓地と高台寺墓地の間を歩く
下の方に菊溪川の源流が見えます。ここが菊溪川探索のスタート地点。では出発しましょう。
右側の斜面が東大谷墓地。左下の平坦地は高台寺墓地。この辺りは墓地だらけです。どちらの墓地も、三大葬送地に一つである「鳥辺野」の一画ということになりますね。
上流を振り返って見たところ。左は東大谷墓地、右は高台寺墓地。その間を菊溪川が流れています。
砂防ダムもありました。ということは、大雨の際は土石流が発生する訳ですね。(砂防ダムは土石流をくいとめるためのもの)
そうなると下流には、扇状地が形成された可能性もあります。そして伏流水も。(砂防ダム一つで色んな地形が想像できますよ)
また振り返って上流側を見ましょう。左は東大谷墓地、右は高台寺墓地。その間を菊溪川が流れています。
さて下流を見てみると、菊溪川の上に何か建っています。何でしょう?
近づいてみたら石材店でした。「石匠七代目 河波忠兵衛 祇園店」とあり、後で調べたら、江戸時代から続く老舗の石材商だったようです。
(右下に赤い鉄骨が見えます。覚えておいて下さい)
大谷祖廟へ寄り道
東大谷墓地を出たら、すぐ右側に大谷祖廟が見えました。せっかくなので寄ってみましょう。
大谷祖廟は真宗大谷派(東本願寺)の聖地。以前行った事のある大谷本廟は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の聖地。紛らわしいけど、両方行ったら完全制覇といった感じでしょうか。
菊乃井本店から、ねねの道へ
今度は墓地管理事務所の脇を通って、裏側に行ってみました。右下に料亭「菊乃井本店」が見えますが、その手前を菊溪川が通っているはず。
遠くに、あの石材屋さんの赤い鉄骨が見えているのが分かりますか。
今度は菊乃井本店への入り口から坂を降りて、店の前まで入ってきました。この辺りは暗渠化されたようで、この下を流れているのでしょう(おそらく真ん中の鉄板の下ですね)
さらによく見ると、遠くに石材屋さんの鉄骨もかすかに見えています。(シートの掛かった車の右上)
今度は反対に下流側を見てみます。敷石に覆われてよく分かりませんね。この下を流れて、正面の竹垣に向かっているのでしょうか。
また道路に戻って、隣の入口から入ってみました。そうしたら突当たりの左側に先ほどの竹垣が!
そして軽トラの左下をよく見ると、小さな"橋の欄干"のようなコンクリート構造物が見えますよ!
さらに視線を右側に移すと・・・、
荒れたコンクリートの残骸!これは間違いなく、暗渠化された菊溪川の蓋の部分ですね。グレーチング(鉄格子の蓋)も見えます。
この先へ行ってみましょう。
歩いていくと、すぐに菊溪川が出てきました。
今度は西側へ。分かりづらいけど、左側は崖、右側は墓地、その間を菊溪川は流れていきます。
そのまま進んでいきましょう。
この先を菊溪川は右に折れながら流れていくようです。でも一般人が行けるのはここまででした。
西行庵へ寄り道
表通りに戻ると、隣に西行庵というお寺がありました。ちょっと寄ってみましょう。
西行法師が庵を結び、そして終焉の地でもあったらしい。静かで心落ち着く場所です。とても観光客の多い賑やかな"ねねの道"の近くとは思えませんね。
西行庵。三軒四方のこじんまりとした庵です。それに比べて、茅葺き屋根が大き過ぎるので、何だかバランスが良くない。なぜでしょう?
(作者には何か意図があってバランスを悪くしたのでしょうが、その意図が分からない)
それと茅葺きの茅に、苔が生えてきています。早めに"苔落とし"をしないと、茅が劣化してダメになってしまいます。余計な心配ですが・・・
ねねの道
ねねの道に到着しました。ここはT字路になっていて、正面は先ほど寄った菊乃井本店へ続く道。左は円山野外音楽堂へ続く道。
ちょっと左へ寄ってみましょう。
分かりづらいけど、円山野外音楽堂。
70年代に京都で青春を過ごした人なら誰でも知っている「宵々山コンサート」が行なわれた場所です。あるいは豊田勇造の歌「ジェフベックが来なかった雨の円山音楽堂」でも有名。
僕はいまだに入った事は無いのですが、「宵々山コンサート」や豊田勇造は、本当に"擦り切れるほど"レコードを聞きました。なので円山野外音楽堂には特別な思い入れがあります。
ねねの道を元に戻ると、右側に大雲院というお寺。
織田信長の子、信忠の菩提を弔うために建てられたらしい。元々は別の場所にあったのを戦後移築されたとの事。ちなみにこの門は江戸時代の築です。
大雲院の隣には祇園閣。これぞ祇園のランドマークみたいなものですね。
元々は昭和3年、大倉財閥の創業者、大倉喜八郎の別邸として建てられた建物。屋根が銅板葺きなのは、大倉喜八郎が "金閣、銀閣に次ぐ銅閣"として建てさせたかららしい。
その奇抜なデザインを設計したのは伊東忠太。東京に住んでる人なら、築地本願寺の奇抜なデザインに驚いた事があるかもしれません。それも伊東忠太と言えば、「あ〜なるほど」と分かってもらえるかな。
ではまた、「ねねの道」を南へ向かいましょう。この先に菊溪川はあるはずです。
ポートランド コーヒー・ロースターズ
すぐにポートランド コーヒー・ロースターズのコーヒースタンドが現れました。
野茂英雄がアメリカ在住時、ポートランド コーヒーの美味しさに感動して、引退後に始めたお店らしい(実際にお店にいるのはアルバイト青年ですが)。露天のコーヒースタンドとはいえ、今や大人気店。店前はいつも人だかりです。
古地図では、この奥に菊溪川があるはず。お店の奥に行ってみましょう。
奥に行ってみると、すぐに菊溪川が現れました。(赤っぽいのは紅葉の落ち葉)
さらにこの奥は墓地になっていて、一般人は立入禁止のようです。なのでここまでですね。(でもその墓地は以前ちらっと見えた墓地ですよ)
振り返ってみると橋が見えました。行ってみましょう。
橋の上から上流側を望む。
今度は橋の上から下流側を望む。目の前の板の壁は、ポートランドコーヒーの建物の裏側です。
という事は、、、ポートランド コーヒーは菊溪川の真上に建っている、という事か!
せっかくなので、ポートランドコーヒーをいただきましょう。話を聞くと、5年ほど前に始めたそうです。その前まで、この建物は倉庫だったらしい。
「このお店の真下を菊溪川が通ってますよね?」と聞いてみると、「そうですよ!よく知ってますね〜!」との返事。いゃ〜貴方こそ、よくご存知で!
こんな風にベンチでコーヒーをいただけるようになっています。左側は外国人カップル、右側は若い女性2人組。いろんな客層に人気のようですね。
ところで手前のコンクリートをよく見ると、暗渠の蓋のような形、、、
アップにしました。この縦方向のコンクリートは、明らかに暗渠の蓋の名残りじゃないですか!分かりやすい形をしてますよね。
という事は、ここから手前の"ねねの道"に入ってる訳ですね。そしてここから菊溪川も、下水道として生きていくという事か!?
~ 菊渓川を歩く(その2)へ続く ~