~ 轟川を歩く(その1)からの続き ~
東大路通を横断する
東大路通に出たところから再開しましょう。
まずは東側から。このマンホールの所を轟川が横断してるはずですが、新しいビルが建っていて、痕跡は残っていませんでした。
続いて反対側(西側)を見てみましょう。
中央右寄りのビル(オレンジ色のヒサシ)と、左寄りの倉庫(トラック停車中)の間が、何となく空いてますよね。スミトンも古地図もここです。
早速行ってみましょう。
近づいてみました。この隙間ですね!現在も下水道となって流れている轟川です。
八坂通を西へ
この先を探索するために、一本南側の八坂通に入ってみましょう。
八坂通に入ると、すぐ右側(北側)に駐車場が現れました。これはありがたい。早速入ってみましょう。
一番奥まで行って右側を見ると・・・、この隙間ですね。フェンスと蔵の間!
(左の建物は、錆びた波トタンに覆われてますが、土蔵なのは間違いない!)
今度は左側(西側)を見ると・・・、やはりこの隙間です。フェンスと板塀との間!
(探索時はここで夕方になったので一旦終了しました)
翌朝から再開
(という訳で翌朝から調査再開!朝の光が爽やかです)
前回の駐車場の左隣(西側)も、こんな駐車場になってました。早速入ってみましょう。
一番奥まで行って左側(西側)を見てみると、何となくそれっぽい。でもスミトンや古地図によると、右側の塀ブロックの右隣らしい。現物は見えませんね。
さらに奥を覗いてみても同じ。緩やかにカーブしている塀ブロックの右隣。この先は建仁寺の非公開エリアに入ってしまうので、八坂通からの探索はあきらめます。
次からは、一本北側の道(安井金比羅宮の鳥居のある道)から探ることにしましょう。
安井金毘羅宮の鳥居のある道を西へ
安井金比羅宮の鳥居から西へ100mほど歩くと、南側に空き地(バスの駐車場?)が現れました。
奥まで行ってみると、突き当たりは建仁寺の高い塀。
その右側を見ると、どうやらこの部分が轟川(現在は下水道)のようです。
安井金毘羅宮へ寄り道
元の道に戻ると、向かい側(北側)は安井金比羅宮。せっかくなので寄りましょう。
元々は安井観勝寺というお寺でしたが、明治の廃仏毀釈で神社になりました。「悪縁を切り、良縁を結ぶ」ということで女性に大人気らしい。
境内にある石碑。ここにお札を貼って、トンネル状の穴をくぐると、良縁を結ぶらしい。実際にくぐっている女性が大勢いました。凄いね。
また元の道を西へ
安井金比羅宮から西へ10m歩くと、また南側に駐車場が出現!塀の向こうに建仁寺の伽藍も見えますね。入ってみましょう。
突き当たりはフェンス。その向こう側に建仁寺の塀。という事は、、、
左側(東側)を見ると、やはりそうです。フェンスと塀の間が轟川。
続いて右側(西側)を見ると、こちらもまさに轟川!ただ不思議なのは新しい側溝が造られています。下水道は地下を通るはずなのに。でもスミトンはここなので間違いないでしょう。
ついに建仁寺の非公開エリアへ
駐車場から西へ30m歩くと突き当たるので、左折しましょう(写真は左折した所)。すると、正面には建仁寺の塀と、お地蔵さん?
近づいてみるとやはりお地蔵さん。京都は本当にお地蔵さんが多い。
ところで塀との間に、一段高いコンクリート構造物が見えます。これは下水道の蓋部分でしょう。
ここでスミトンや古地図を見ると、下水道はそのまま右へ進んでいます。ついに建仁寺の非公開エリアに突入!
という事なので、僕らは安井通を通って建仁寺へ向かいましょう。
建仁寺を歩く
安井通を歩いていくと、突き当たりの左側に建仁寺の入口があります。そのまま入っていきましょう。
南側へ歩いていくと左側(東側)に冠木門が見えます。入ってみましょう。
ここは両足院という所のようです。右奥に「写経・坐禅体験」などと書いてあるので入ってみましょう。
美しい庭ですね。心が落ち着きます。白砂は入り江を表しているのでしょうか。
などと庭を眺めつつ・・・、どこか奥に入れないか、と探ってみましたが・・・、入れるのはここまで。残念、戻りましょう。
次の大門も開いていたので、すぐに庭が眺められました。(たまたまだったようですが・・・)
左の白砂と右の苔庭のコントラストが面白い。無機と有機の対比?やはり良い庭ですね。
などと眺めましたが・・・、やはり入れるのはここまで。建仁寺のガードは固い・・・。いゃまぁ、当たり前ですけど(笑)。仕方ない、戻りましょう。
そのまま南へ歩いていくと、素晴らしい楼門を見つけました。中国の禅宗様式。
後で調べると、建仁寺開山の祖、道元を祀る開山堂の門で、宝陀閣と言うらしい。
今まで建仁寺に来ると、三門とか法堂ばかり見ていたので、今回は凄く新鮮です。
東側の庭や楼門をじっくり見られて良かった。そんな事を思いつつ歩いていくと・・・
ついに建仁寺の外へ
建仁寺の南端に到着(写真は東側を見たところ)。建仁寺の塀が続いています。この非公開エリアの中を轟川は流れてきたはず。
ところで、スミトンや古地図に書かれた "非公開エリア内のルート" を見ると、きちんと建物を避けるように直進しています。
最後の方は曲線もありますが、それでも建物をうまく避けている。建仁寺造営時に人工的に改変されたと想定できますね。
そんなことを思いつつ、近づいてみましょう。
ありました!塀の手前にマンホール。ようやく非公開エリアから表に出てきたところです。