京都の葬送地シリーズ4回目!今回は羅城門!!言わずと知れた"平安京の正門" です。
そこが葬送地とは驚くかもしれませんが、平安京に住む庶民の "死体捨て場"となっていたのも事実です。
今回はそんな羅城門に行ったときのことを紹介しましょう。
まずは、近所にある日本最大級の “魔界スポット” 東寺から歩き始めましょう。
東寺
という訳で東寺からスタートします。
すぐそばに、こんな強力な"魔界"がある以上、寄らない訳にはいきません。
写真は通常観光客が入る慶賀門。僕もここから入りました。重要文化財。
東寺は、平安京遷都と同時に作られた国家鎮護の官寺。また空海が真言密教の根本道場とした事でも知られています。
特に強烈なのは立体曼荼羅と呼ばれる仏像群。大日如来を中心に不動明王など21体の仏像が整然と配置されています。
もちろん建物も凄い。写真は国宝の金堂で桃山時代の築。他にも国宝や重文の建物が何棟も並んでいて圧倒されます。
東寺といえば五重の塔。もちろん国宝です。木造塔としては日本一の高さ。"京都のシンボル"と言っても良いでしょう。
重要文化財の南大門。観光客はほとんど来ませんが、ここが本来の正門になります。
僕もここから出ました。西へ500mほど行った所に目的地、羅城門があるからです。
目の前の道は九条通り。平安京の南の果てです。では羅城門へ歩いていきましょう。
矢取地蔵尊
羅城門跡地に到着すると、入り口に良い感じのお堂が建っていました。
矢取地蔵尊。空海の身代わりになったという伝説の残るお地蔵様です。
矢取地蔵尊をアップ。羅城門と全然関係ないのに、"あっけらかんと"こういうのがある、というのも京都の凄いところ。1200年の歴史を誇る京都の重層性をよく表しています。
では羅城門跡地の公園に行ってみましょう。
羅城門跡地の公園
この奥に公園があり、そこに羅城門遺跡の石柱が建っています。
ところで羅城門は平安京の正門として建てられましたが、100年もしないうちに使われなくなり、やがて盗賊の住処となり、最後は平安京庶民の"死体捨て場"となり果てました。
奥の公園に行きましょう。
明治28年に建てられた羅城門遺跡の石柱。ここに羅城門はありました。
さて、今昔物語には次のような話も書かれています。
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ある夜のこと。
とある盗賊が、羅城門に人影を感じたので、門の中まで行ってみると、山積みされた死体のなかに老婆がいた。
彼女は死体から髪の毛を抜いている。
聞けば、死体の髪の毛を集めて、カツラを作って売り飛ばすのだという。
(当時の官女は、今でいうウイッグを付けるのが当たり前でした)
身震いしながら話を聞きていると、老婆は「生きるためにしようがないのだ」と言うのだった。
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そのような話が伝わるほど、羅城門は恐ろしい"魔界"に成り果てたのです。
その後(980年)暴風雨で倒壊すると、二度と再建されることはありませんでした。