京都の異界を歩く

ちょっと変わった京都の探訪記です

明治維新を歩く(その7)〜鳥羽編〜

明治維新の舞台となった京都。多くの歴史的事件がこの街で起きた。薩摩・長州や新撰組などが暗躍し、坂本龍馬もこの街で亡くなった。


今回は鳥羽を巡る。と言ってもあまり知られてないかもしれない。鳥羽伏見の戦いの鳥羽と言えば分かってくれるだろうか。戦場だった。


※「明治維新を歩く」と言っておきながら、それ以外も寄り道しまくる事、あらかじめご了承いただきたい。異界があれば寄る主義なのだ。


小枝橋から歩き始める

戊辰戦争の発端となった「鳥羽伏見の戦い」。それは小枝橋から始まった。大阪から北上してきた幕府軍は、小枝橋を渡って京都に入ろうとする。しかし城南宮に陣取った薩摩軍が立ちはだかった。まずはその小枝橋から歩き始めよう。




という訳で小枝橋に立つ。とはいえ今の橋は新しく架け替えられたもの。幕末当時の小枝橋はやや下流側(この写真では右側)にあったようだ。




現代の小枝橋から鴨川の流れを見てみよう。マンションなどが建ち並んでいるが、川面の風景はあまり変わらないのではないだろうか。




新小枝橋の下流側。このあたりに旧小枝橋があったはずだ。今は草に覆われて、面影は無いが。




それでは城南宮通を東へ進もう。




と思ったら右角に、何とも良い感じの民家が見えた。蔵や離れなどもある。相当な豪農だったのだろう。

よく見ると屋根の上に、煙抜きの小屋根も見える。かまど(おくどさん)がある訳で、築も古いのだろう。




上の民家を表側から眺めてみた。何とも巨大な町家ではないか。これは驚いた。手前は昭和で、奥は明治か大正だろうか。


鳥羽伏見の戦い勃発の地の碑

すぐに「鳥羽伏見の戦い勃発の地の碑」が建ち並んでいる交差点に出る。そこから南の赤池交差点までの間が戦場だった。赤池交差点で「通せ、通さぬ」の押し問答があって、結局幕府軍が強行突破、鳥羽伏見の戦いは始まった。




鳥羽伏見の戦い勃発の地の碑(その1)。千本通と城南宮通の交差点に、鳥羽伏見の戦い勃発の地の碑が建っている。相当古いものから、最近のものまで三つ、それに駒札が一つ。




鳥羽伏見の戦い勃発の地の碑(その2)。戊辰戦争はここから始まった。まぁ正式にいうと赤池交差点なのだろうが、そこからここまで戦場になった事を考えると、勃発の地と言っても許されるだろう。




鳥羽伏見の戦い勃発の地の碑(その3)。こちらは道標(鳥羽伏見の戦いとは関係ない)。ここから東へ行くと城南宮、南へ行くと千本通を通って大阪へ、そして西へ行くと小枝橋を渡って京都に入れる。交通の要衝だった。




では交差点を越えて、引き続き城南宮通を東へ進もう。




続いて鳥羽離宮公園への道を南下する。目指すは鳥羽離宮公園だ。


鳥羽離宮公園

鳥羽離宮公園に入る。言うまでもないが、かつて鳥羽離宮のあった所だ。平安時代から鎌倉時代にかけて、白河天皇後鳥羽上皇などが拠点として、御所よりも重要視されていた。平安京の重要ポイントと言える。そこが幕末、戦場になった。




鳥羽離宮公園(その1)。今は公園として整備されている。ではこの入り口から入っていこう。




鳥羽離宮公園(その2)。中はほとんどが、広い芝生の広場になっていた。ここが戦場だったとは・・・。




鳥羽離宮公園(その3)。北側に、鳥羽伏見の戦い勃発の地の石碑と配置図が建っていた。それはありがたいが、これだけで戦場だった事を想起するのは難しい。




鳥羽離宮公園(その4)。雨が激しく降ってきた。それはともかく、この池と東屋は、鳥羽離宮を模して造ったのではないだろうか。そんな気がする。




鳥羽離宮公園(その5)。道路をはさんだ南側には、南殿跡の石碑と看板があった。離宮は相当広かったわけだ。


千本通赤池交差点


また千本通に戻ってきた。この辺りは拡幅されて新しくなっている。とにかく赤池交差点に向かおう。




その赤池交差点に到着した。千本通赤池通が交わるので千本通赤池交差点という。

正面が千本通で、まっすぐ進むと大阪に至る。幕府軍はこの道をやってきた訳だ。




千本通赤池交差点の右角に、超立派な和風民家が見えた。庄屋さんだったのではないか。それくらいのレベルの豪邸だ。




千本通赤池交差点の角に、駒札が建っていた。それによると、まさにここが「通せ通さぬ」の"押し問答"の地。つまり鳥羽伏見の戦いの、本当の勃発の地だったのだ。


城南宮へ

千本通赤池交差点の次は城南宮を目指す。薩摩藩が陣を構えた場所だ。そこまでは、鳥羽離宮公園の東側を通って、城南宮通まで戻ろう。




鳥羽離宮南殿跡。こちらもだだっ広い芝生広場になっていた。




鳥羽離宮南殿の詳しい説明看板まであった。これは嬉しい。




では城南宮通から国道1号線を渡ろう。正面に城南宮の大鳥居も見える。




国道1号線を渡って振り返ると、和菓子司「おせき餅」があった。なんと創業450年という。戦国時代から続くという超老舗の和菓子屋さんだ。

元々別の所にあったのが、昭和7年京阪国道の開通の際、現在地に移ってきたらしい。名物はおせき餅。城南宮参拝の土産として有名とのこと。


城南宮

城南宮は平安時代より伝わる古社だが、鳥羽離宮ができてからは、その一部となり繁栄した。薩摩藩はここに陣を構えて、幕府軍を迎え撃った。




城南宮(その1)。ではこの参道から入っていこう。




城南宮(その2)。この大鳥居を過ぎたところで、また急に雨が強くなってきた。とりあえずは斎館で小休憩させてもらった。




城南宮(その3)。歩いていくと、左側に駒札が二つ建っていた。城南宮の説明用と、鳥羽伏見の戦いの説明用、という事らしい。




城南宮(その4)。とにかく城南宮本殿へお参りしよう。観光客も少なく、静かにお参りできる良い神社だ。




城南宮(その5)。右側に庭園入口があった。池泉回遊式庭園が有名とのこと。時間があればゆっくり訪ねたい。




城南宮(その6)。東鳥居で城南宮とお別れだ。ここに陣を構えた薩摩藩によって幕府軍は惨敗することになる。歴史の転換点の舞台だった。そして時代は明治へ向かっていく。

#鳥羽伏見の戦い