京都の異界を歩く

ちょっと変わった京都の探訪記です

安倍晴明を歩く(その1)〜上京編〜

平安時代陰陽師安倍晴明。今や知らぬ人もいないだろう。映画やアニメ化までされ大人気だ。京都を代表する"異人"といって良い。

その住居も職場も上京にあった。朝廷の陰陽寮で働いていたので、官職にまつわる史跡も多い。そこを歩けば実像が分かってくるだろう。

※「安倍晴明を歩く」と言っておきながら、それ以外も寄り道しまくる事、あらかじめご了承いただきたい。異界があれば寄る主義なのだ。


大極殿跡から歩き始める

安倍晴明は朝廷の陰陽寮で働いていた。今でいうサラリーマンみたいたもの(笑)。その職場は、天皇もいました大極殿にある。まずはそこからスタートしよう。




大極殿跡(その1)。現在、その中心とされる所は公園になっていた。明治28年に平安遷都1100年を記念して建てられたという巨大石碑も建っている。その仰々しさはいかにも明治らしい。

だがよく見ると、公園の周囲は普通の住宅街じゃないか。長屋が密集していて、洗濯物まで見える。羅城門のときも思ったが、この生活感溢れる雰囲気こそ、"重層化された京都" にふさわしい。




大極殿跡(その2)。公園には丁寧な説明看板まである。これは嬉しい。それによると、大極殿の範囲がよく分かる。実際はかなり広かったようだ。

ただ平安後期にはもう使われなくなり、天皇の執務場所は白河や鳥羽などへ移っていく。誰もいなくなり、荒れ果てて、やがて打ち捨てられた。

今昔物語によると、荒れ野と化した大内裏は、妖怪の棲む場所となり、人は恐れて近寄らなくなったという。そのため庶民の野糞が絶えなかったとか。




大極殿跡(その3)。公園の千本通側の出入り口にも、古めかしい石碑がある。これも明治に建てられたものだろう。

大極殿がどんな建物だったか知るには、平安神宮に行けば良い。明治になって、大極殿を模して建てられたからだ。




大極殿跡(その4)。さらに公園の丸太町通側の出入り口にも大極殿跡の石碑がある。隣の説明看板も含めて、これはちょっと新しいようだ。




大極殿跡(その5)。平安宮朝堂院跡とある。朝堂院とは朝廷の中枢部。今でいう内閣みたいなところだろうか。

では次の目的地の陰陽寮跡地へ行くために、千本丸太町交差点へ向かおう。


千本丸太町交差点

千本丸太町交差点に着いた。ここはあちこちに説明看板が設置されている。大変ありがたい。早速見て回ろう。




千本丸太町交差点(その1)。角の植込みの中に大極殿の説明看板がある。かなり新しいので、近年整備されたものだろう。




千本丸太町交差点(その2)。その横には比較的新しい大型の説明看板。平安神宮のモデルが大極殿ということが書かれている。




千本丸太町交差点(その3)。ここで千本通を横断する。この道はかつての朱雀大路。つまり平安京のメインストリートだった。大極殿の正門である朱雀門はもう少し南にあるはずだ。




千本丸太町交差点(その4)。渡り終えると、また大型の説明看板があった。今度は千本通の名前の由来が書かれている。この道は、死者を葬送地へ送る道だったので、千本の卒塔婆を建てた。そこから名付けられたという。


陰陽寮

安倍晴明が働いていたのは、大極殿の中の陰陽寮という組織だ。それは千本丸太町交差点の東側にある。早速向かおう。




丸太町通を東へ歩くと、「平安京中務省築地跡地」という説明看板と石碑がある。陰陽寮中務省の一組織なので、この辺りが陰陽寮跡地とみて間違いないだろう。

それにしてもマンションのエントランスの端っこに、小さな説明看板と石碑があるだけだ。天下の安倍晴明の職場跡にしては寂しくないか。まぁ別に良いけど。


浄福寺通を北へ

では次の目的地である晴明神社へ向かおう。ここから浄福寺通を北へ向かえば良い。だがその前に次々と"異界"が現れる。寄らない訳にはいかない(笑)




という訳で、浄福寺通を北へ向かうと、すぐに「平安宮内裏南限と建礼門跡」という説明看板がある。ただし実際の門跡は東へ30mの所らしい。

余談だが、京都では "通り"のことを"通"と書く。なので"浄福寺通"。ただし読み方は、普通に"とおり"のまま。いや、京都は本当にややこしい。




続いて「平安宮内裏宜陽殿跡」という石碑。この辺りは内裏の中なので、色々な建物があったのだろう。

それにしても、内裏という天皇のいました場所なのに、駐車場や住宅などというのは、さすが京都らしい。




今度は「平安宮内裏綾綺殿跡」という石碑。一つ一つに建てられているなんて凄いね。ところで、この石碑は良い感じの町屋の前にある。次の写真だ。




これが全体像。なんとも素晴らしい町家ではないか。明治の頃の築だろうか。こんな町家が普通に建っているなんて、本当に京都は素晴らしい。


西陣空襲被爆

どんどん北へ歩いていくと西陣空襲被爆地に出る。京都に空襲があったことを知らない人は多い。中止命令が出るまで、西陣太秦、馬町などに落とされていた。

死者も多数出たほどの惨事だったが、東京や大阪ほど多くは無かったため知られていない。それどころか「京都に空襲は無かった」という俗説まで流布されていた。




西陣空襲被爆地(その1)。ここには看板の他、説明パンフレットなども貼られている。こうした地道な活動をしている人に敬意を表したい。

ところでかつては、「京都に空襲が無かったのは文化財が多かったからだ」などという俗説が流布していた。今では明確に否定されている。

その後明らかになったのだが、京都にも原爆を落とす計画があり、その原爆被害を正確に測定するために、空襲は早期に中止されたのだ。




西陣空襲被爆地(その2)。アメリカは「終戦を早めるために原爆を落とした」と言っていたが、それは嘘だった。実際は、日本の都市を使った"残酷な実験"に過ぎなかった。

原爆の候補地は十数ヶ所あったらしい。広島と長崎に落とされた後、もし降伏しなかったら、次は京都を含む候補予定地に落とされていた。文化財も何も関係なかった。


赤レンガ路地と西陣ろおじ

さらに北へ歩いていくと、赤レンガ路地と西陣ろおじに出る。よく「京都は路地が面白い」と言われるが、まさにその通り。ここもとても魅力的だ。




赤レンガ路地(その1)。たまたまこの標識を見つけた。何だろうと入ってみたら・・・




赤レンガ路地(その2)。こんな感じで素晴らしい。おそらく明治後期か大正だろうか。京都人は新しいもの好きなので、レンガが日本に入ってきたら、すぐに導入された。

それにしても古ぼけた感じがとても良い。決して綺麗ではない。この汚れ感もワザと残したのだろう。よほどの"粋人"が関わっているのか。このまま残してほしい。




赤レンガ路地(その3)。奥に続く町家も良い感じだ。これも明治後期か大正だろう。一番奥の突き当たりはクラフト作家たちの拠点(貸し工房)になっているようだ。さすが西陣




西陣ろおじ(その1)。今度は左側に小綺麗な路地が現れた。「西陣ろおじ」と書いてある。ショップでも並んでいるのか、と思って入ってみたら・・・




西陣ろおじ(その2)。傘屋さんとか髪結とか並んでいる。やはりショップの複合施設のようだ。

と思ったら・・・。体験型宿泊施設だった。どうりで綺麗すぎる。いゃこれはこれで面白いけど。


浄福寺

味わい深い施設を堪能しながら歩いていると、やがて浄福寺に到着する。奈良時代末期の開創という古刹だ。

ただ「明治維新を歩く〜西陣編〜」で詳しく説明したので、ここでは本堂と護法堂の紹介のみにとどめよう。




浄福寺(その1)。この本堂は享保年間の建立という。京都市指定有形文化財。その巨大さには本当に圧倒される。

なお幕末は、薩摩藩が屯所として使っていたらしい。血気盛んな薩摩藩士の付けた刀傷が残っているそうだ。




浄福寺(その2)。護法大権現を祀っている護法堂。天明の大火の際、天狗が火を消してくれたという。

それ以来、仏法を護ってくれる守護神(護法大権現)として、ここに天狗が祀られているらしい。




浄福寺(その3)。お寺の東方を護る赤門を見ながら、このお寺ともお別れしよう。遠くからも目立つので、浄福寺は別名「赤門寺」とも呼ばれているらしい。


浄福寺から東へ

ではここから東へ向かって、晴明神社を目指そう。ここからは明治維新を歩く〜西陣編〜と一部ダブっているが、気にしない。




すぐに良い感じの町家が現れた。とても煙突が多かったが、一体この町家は何だったのだろう。表玄関を見ても何も書いてなかった。




そのまま東へ。右側の白壁は蔵造りの建物。その先には戦後の町家と明治頃の町屋が並んでいる。とにかく普通に凄い。




やがて堀川通に出た。水路の堀川に沿って作られた道だ。平安京の時代からあったという古道だが、今はマンションが建ち並んで面影は無い。


晴明神社

堀川通を右折すると、すぐに晴明神社に到着する。安倍晴明を"神"として祀る神社だ。晴明の人気上昇とともに訪問者も絶えないらしい。実際、僕が行ったときも女性を中心に参拝客が何人もいた。早速見て回ろう。




晴明神社(その1)。堀川通に面して聳え立つ大鳥居が目印。特に鳥居中央の五芒星は異彩を放っている。

ところで現在の神域は意外と狭い。神社の公式サイトによると、安倍晴明の屋敷跡に造られたという。

だが、その後の研究により、屋敷跡は、今の京都ブライトンホテルの場所にあった事が分かっている。

公式サイトは書き換えた方が良いのではないか。そんなことを思いながら、早速くぐってみよう。




晴明神社(その2)。入るとすぐ左側に、一条戻橋のミニチュアが造られている。実際の部材を使って再現されたものらしい。

本来の一条戻橋はすぐ近くにあったので、そこに行った方が感じるものがあるのではないか。もちろん後で行くつもりだ。




晴明神社(その3)。こちらが本殿。ところでここは土御門神道の系列かと思ったら、普通の神社庁の系列だった。まぁ別にどちらでも良いのだが。

知らない方のために言っておくと、安倍晴明の末裔は代々、土御門家を名乗り朝廷に仕えてきた。しかし明治維新後、陰陽寮は廃止され職を失った。

そこで土御門家は「土御門神道」という宗教団体を立ち上げ生き残った。神社本庁とは別の組織だ。その土御門系列の神社もあるのでややこしい。




晴明神社(その4)。正面左側には、安倍晴明の坐像もあった。

映画では野村萬斎が晴明役だったため、安倍晴明というと細面(ほそおもて)のイメージが付いてしまった。

しかし実際の晴明は、ご覧の通り、割と"ふくよか"な顔立ちだ。小太りの中年オヤジといった感じだろうか。




晴明神社(その5)。境内には「晴明井」という井戸もあった。"病気平癒のご利益" があり、今でも水は飲めるらしい。フタにデカデカと描かれた五芒星が目立つ。

他にお札などを売っている売店もあったが、土産物らしきものまで売っていて、女性客が大勢いた。もはや異界とは言い難い雰囲気だったので、早々に後にする。


一条戻橋

晴明神社を南へ歩くと、すぐに一条戻橋に到着する。こここそ本来の橋があった場所だ。平安時代陰陽師、浄蔵が祈祷して、死者を蘇らせた事があるという。そんな伝説から"戻り橋"と名付けられた。早速見てみよう。




一条戻橋(その1)。平安時代からここにあったという一条戻橋。今あるのは新しく架け替えられたものだが、"地霊" は残っているはずだ。

そう思うと、何やら"おどろおどろ"しく感じる。金ピカ感のあった晴明神社より、こちらの方がよほど "異界" らしい。気のせいでは無い。




一条戻橋(その2)。たもとには桜の花が満開だ。はかなくも美しい。そしてその手前には駒札もあり説明してくれる。

安倍晴明は、この橋の下に十二神将を隠しておいて、必要な時に呼び出して呪術を使ったという。晴明にも縁の深い橋だ。




一条戻橋(その3)。今は周りもマンションだらけだが、昔は凄惨な場所だった。例えば戦国時代、豊臣秀吉は島津歳久と千利休を、ここに"さらし首"にしたという。

また秀吉は、"日本26聖人" と呼ばれるキリスト教殉教者も、ここで"見せしめ"に耳たぶを切ったという。他にも沢山あるようだ。とにかくここはそんな場所だった。


一条戻橋から東へ

ではここから、最終目的地の安倍晴明邸跡へ向かおう。ただ、その前に興味ある場所が次々と現れる。それらは" 明治維新を歩く(西陣編)" で詳しく説明したので、今回は写真程度のみに留めておく。




という訳で、一条戻橋の南側に下ると、素晴らしい石橋があった。第一堀川橋。明治6年に造られた石造アーチ橋だ。御所と二条城を結ぶ重要路だったらしい。




その隣に見事な町家が建っていた。新光社と書いてあるが、職人さんの家だったのだろうか。建てられたのは明治時代に間違いあるまい。




どんどん東へ歩いていこう。「長宗我部はま子バレエ学園」という建物もあった。後で調べると、バレエのスターだったようだ。




さらに東側に初代上京区役所跡。




会津藩洋学所跡というのもあった。幕末の会津藩士、山本覚馬がここに洋学所を開いたらしい。

覚馬は後に、新島襄とともに同志社大学設立に関わった。会津藩の重要人物と言えるだろう。


ブライトンホテル京都

ようやく到着した。「会津藩洋学所跡」の東側に、「ブライトンホテル京都」がある。ここが最終目的地の安倍晴明邸跡だ。

実際に晴明はそこに住んでいた。ここから朝廷まで通っていた、ということになる。どんな所なのか。早速入ってみよう。




ブライトンホテル京都の敷地は広い。実際はどの辺りだったのだろうか。ホテルに入って、黒服のスタッフに聞いてみた。

すると「西南側の駐車場辺りだったようですよ」と教えてくれた。さすが一流ホテル、教え方も丁寧だった。ありがたい。




という訳でやって来た。ここが正式に安倍晴明邸跡だったらしい。平安時代陰陽師として活躍した安倍晴明。その邸宅跡が分かるなんて、さすが京都らしいとも言える。

さて実像の安倍晴明は、官人として、ここから朝廷の陰陽寮まで通っていた。いわばサラリーマンのようなもの。数々の伝説は後から加えられた。当然、映画やアニメも然り。

やはり実像と虚像は違う。普通の平凡な駐車場を見て、しみじみと思った。しかし何故、虚像が生まれたのか?それこそ最大の謎で興味だ。次回は虚像の晴明を見て回ろう。


〜 終わり 〜


安倍晴明 #京都歴史散歩 #清明神社