京都の異界を歩く

ちょっと変わった京都の探訪記です

竹田の子守唄を歩く(その1)〜久世編〜

赤い鳥が歌って大ヒットした「竹田の子守唄」。その原曲は、京都市の竹田地区に伝わる民謡だが、次のような歌詞があった。


「久世の大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし またも竹田のもんば飯」


赤い鳥のリーダー後藤は、原曲を聞いたとき、この歌詞こそキモだと感じたという。それを歌いたかったが、断られたらしい。

後藤の直感は正しかった。貧しさを伝えるこの部分こそ、この歌の価値を高めるものだった。やがて許可を得て歌いだした。



僕にとっても、久世や竹田は馴染みのある地名だったので、聞いた時は衝撃だった。どうしてもそこに行ってみたくなった。

歌詞の順番通り、久世から吉祥、そして竹田へと、歩いて回ることにした。今回はその探訪記の1回目。久世編という事になる。



※ 「竹田の子守唄を歩く」と言っておきながら、それ以外も寄り道する事あらかじめご了承頂きたい。異界があれば寄る主義だ。


JR桂川駅から歩き始める

久世から吉祥を経て竹田まで歩いて巡るなんて、おそらく地元の人にとっては考えられないだろう。

僕も最初は無理かと思ったが、Googleマップで徒歩時間を調べてみると、歩けることが確信できた。


という訳で京都へ向かった。まずはJR桂川駅から歩き始めよう。




朝一番にJR桂川駅に到着した。メインターミナルは西口らしいが、東口にも乗降口があった。早速、東へ向かって歩き始めよう。




すると、すぐ右側に立派な旧家を発見した。背の高い見事な蔵付きだ。かつては豪農だったのだろう。




ここで左側に旧道が現れたので、そちらに入ろう。


旧道を歩く

この辺りは、まったく普通の住宅地になってしまったが、昭和の高度経済成長期までは、純農村地帯だった。

なので旧道を歩くと、純農村地帯だった頃の名残りが、きっと現れるに違いない。そう信じて歩き始めよう。




すぐ左側に小いさな社を発見した。お稲荷さんらしい。やはりあった。農村地帯だった頃の名残りだろう。




ここから次々と農家が現れる。一軒一軒、特徴があって面白い。どんどん見ていこう。

まずこのお宅は、母屋の屋根の煙抜きが特徴的。竈門(おくどさん)があったのだろう。




こちらのお宅は全身板張りになっているが、昔は土壁だったはずだ。そして手前は蔵だったのではないか。




こちらは納屋が良い感じだ。母屋も、2階の虫籠窓が良いね。




こちらは長屋門というより、"半"長屋門といった感じだろうか。




左右に蔵が二軒。どちらも土壁が美しいが、真ん中の工事がちょっと気になる。




こちらも母屋の屋根の煙抜きが良いね。右側の離れ(?)の虫籠窓も美しい。




ほとんど農家巡りだ(笑)、などと思いながら歩いていると、お地蔵さんも発見した。花が手向けられ、丁寧に祀られている。




今度は愛宕山大権現の常夜灯が現れた。京都はメチャクチャ多い。この常夜灯が。




やがてバイパスに合流した。これは振り返ったところで、右側が今歩いてきた旧道、そして左側が新しくできたバイパスだ。


バイパスを横断する

バイパスは幹線道路らしく交通量も多い。歩道橋があったので、それを上がって、南へ横断しよう。




歩道橋を上がった。この辺りは高い建物が無いので、開放感があって気持ち良い。周りの景色も見てみよう。




歩道橋からの景色(その1)。まずは西側を望む。今通ってきた旧道とバイパスの位置関係がよく分かる。遠くに京都の西山。




歩道橋からの景色(その2)。続いて東側を望む。もうすぐそこは桂川だ。遠く右側は伏見の山並み。




歩道橋を降りると、すぐ右側に水路と、水路へ降りる階段があった。これは農業用水路だろう。という事は、周囲の住宅地も、田んぼを埋め立てて造られた、という事が窺える。




その隣に、良い感じの母屋と蔵があった。その先の角を右へ曲がると西国街道だ。


西国街道を南下する

ここからは西国街道を南下しよう。歴史ある旧道なので、また古い建物もありそうだ。




ではこの道を歩いていこう。早速、右側に凄い旧家が見えている・・・




という訳で、すぐ右側の建物。これは農家というより町家だろう。二階の虫籠窓が美しい。明治初期か、もしかしたら江戸時代の築かもしれない。




また愛宕山大権現の常夜燈があった。これは愛宕山大権現に参詣するための街灯みたいなものだ。本当に京都には多い。




また町家だ。これは立派過ぎる(笑)。何か商売をされていたのだろうか。1階の黒格子と白漆喰の対比が美しい。それに2階の虫籠窓も美的センスが良いね。




続いて蔵が現れた。これも古そうだ。漆喰や腰板などの外壁部分は直されているが、基礎の石積みを見ると古さが分かる。明治だろうか。


久世に到着する

ようやく久世に到着する。「久世の大根めし」と歌われた久世。どんな所なのだろうか。




久世に入ると、すぐ目の前に大きな体育館が現れた。この隣には学習センターもあって、どうやら地域のコミュニティ施設ということが分かる。




続いて市営住宅。何棟も建ち並んでいた。久世の住宅環境改善のために京都市が建てたものだ。




その隣には「いきいきセンター」というコミュニティ施設。これも地域環境改善のために京都市が建てたもの。




今度は京都市立久世浴場。この公衆浴場も、衛生環境改善のために京都市が建てたもの。本当に京都市の施策は素晴らしい。


金蔵寺地蔵尊

久世の人たちの "心の拠り所" となったのは、神社仏閣などの信仰施設だろう。それも見て回ろう。




金蔵寺(その1)。久世のほぼ真ん中に、金蔵寺というお寺があった。立派は山門が出迎えてくれる。早速、入ってみよう。




金蔵寺(その2)。美しい中庭を持つ小さなお寺だった。久世には神社が無いので、このお寺が信仰拠点だったのだろう。




とはいえお地蔵さんは、しっかりあった。大築町地蔵尊というらしい。これも久世のほぼ真ん中。


久世の農地

「久世の大根めし」と歌われた久世。大根しか食えなかった時代があった。それくらい貧困だった。その象徴となった大根畑は残っているのだろうか。探してみよう。




久世の農地(その1)。探し回ってみたが、まともな農地は二ヶ所しか残っていなかった。それでも見つけられたので嬉しい。

何も植えられてないので、大根かどうかは分からない。でも整地されているので、農家が何かを作っているのは間違いない。




久世の農地(その2)。戦後すぐの写真を見ると、辺り一帯は畑だらけだった。それが高度成長期に入ると一変する。

住宅が建ち並ぶようになり、農地が消滅していった。久世の大根畑も、きっとその頃無くなったいったに違いない。

でもこうして、一部でも農地が残っているのは嬉しいことだ。ここでしばらく「久世の大根」を思い浮かべよう。


久世橋へ向かう

久世を出て、次の目的地の吉祥に向かおう。ここからは、桂川の堤防の上の道を歩いて、久世橋を目指す。




久世を出ると、道は二又に分かれていた。左側は来るとき通った道で、右側はこれから歩いていく道だ。では歩き始めよう。




堤防の上の道にやって来た。やはり開放感があるね。




桂川のほうを見てみよう。景色も良いね。遠くに見えるトラス橋が久世橋だ。




久世橋の西詰め付近まで近づいてくると、素晴らしい総2階町家が現れた。かなり古そうだし、規模もメチャクチャ大きい。

これは「遊船料理いづみや」。桂川に船を浮かべて、料理を食べながら一杯、という事ができるらしい。凄い建物が見られた。




ようやくバイパスまで戻ってきた。この右側が久世橋だ。まずは北側へ横断しよう。




正面に立派な鉄骨のトラス橋が見えた。ちなみに、この橋も昭和29年完成というから、立派な近代建築と言えるだろう。


ではこれから久世橋を渡ろう。



竹田の子守唄を歩く~吉祥編~へ続く)



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