京都の異界を歩く

ちょっと変わった京都の探訪記です

竹田の子守唄を歩く(その3)〜千本通編〜

竹田の子守唄を歩く(その2)〜吉祥編〜からの続き


赤い鳥が歌ってヒットした「竹田の子守唄」。その原曲の歌詞には「久世の大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし またも竹田のもんば飯」とあった。

その歌詞の順に、久世から吉祥を経て竹田へ歩いていこう、というブログの第3回目。今回は吉祥から竹田へ向かって歩いていく。千本通編だ。


千本通を歩き始める

千本通は、過去に何度かブログで取り上げた事がある。「蓮台野への道を歩く」では、死者を葬送地まで運ぶ道として、千本通を取り上げた。

明治維新を歩く」では、官軍の敗走ルート。鳥羽で敗れた官軍は、千本通を敗走し、さらに淀で壊滅され、最後は千本通の脇に埋められた。

どちらも共通しているのは、死者にまつわること。「千本の卒塔婆が建っていたから、"千本通"の名が付いた」と言われているのも頷ける。




この道が千本通。右側は古くからの住宅地で、左側はビニールハウスのようだ。早速、歩き始めよう。




左側のビニールハウスは、どうやら花農家の栽培施設らしい。この辺りは、元々農村地帯だった、ということが分かる。




そのまま右側を見ると、町家が何軒も連なっていた。一番手前の家は、ファサード(建物前面)が看板建築になっていて面白い。




続いて左側に古い町家が現れた。今はもう住んでいないのだろうか。板壁が破れて、土壁が見えている。




らさに左側に立派な町家。これは素晴らしい。手入れもされて、保存状態も良さそうだ。旧街道らしい趣きを感じる。




続いてまた立派な町家。1階の格子窓と2階の虫籠窓が美しい。漆喰がちょっと緑色っぽく塗られているのも粋だね。




その隣には蔵もあった。基礎が高く石積みされているのは、川が近いからだろうか。




また町家だ。まぁ何ていうか、次々と現れる町家は、どれも趣きがあり、保存状態も良く素晴らしい。早くも興奮しまくりだ。


久世橋通を越えてさらに南下する

僕らはさらに千本通を南下するのだが、その前に、この道がいかに重要だったか、ということを話しておこう。

実は、千本通は北に向かうと平安京の羅城門に突き当たる。平安京の正面玄関であり、メインストリートだ。

さらに北進すると朱雀大路、そして朱雀門に突き当たる。まさに天皇の座す大内裏の真正面に至るという訳だ。


その重要性が分かっただろうか。




久世橋通が現れた。例の久世橋からやって来た道だ。ここを横断して、さらに南へ進もう。




すぐに右側に、見事な町家が現れた。やはり1階の格子窓と、2階の虫籠窓が美しい。

それに特徴的なのは道路際の犬矢来。やけに直線的なのは、何かの意匠なのだろうか。




その町家に隣接して蔵があった。窓の配置が特徴的だが、収納品の換気の都合なのだろうか。

それと、母屋の屋根に見える煙抜きも特徴だ。竈門があったという事は、明治の築だろうか。




この町家も豪快だ。2階が大きいので、ちょっと新しいかもしれない。それにしても、次々と現れる町家の数々に興奮しきりだ。




その隣、駐車場の中にお地蔵さん。




こちらも見事な門と蔵だ。由緒ある家柄と思われるが中は見えない。




この町家は、屋根の煙抜きが特徴。それにしても、完全に町家めぐりになっている。古民家に興味ない人には申し訳ない。




左隣には蔵。こちらは農家じゃないので、商家の蔵だろうか。あと一段高くなってるのは、水害から商品を守るためか。




こちらも屋根の煙抜きが特徴の商家。門の質素な佇まいは家柄をしのばせる。




こじんまりとした町家。おそらく奥に長いのだろうが。手前にお地蔵さんも見える。




町家の手前にあるお地蔵さん。正しくは薬師町地蔵尊というらしい。




すぐ隣にもお地蔵さんがあった。京都は本当にお地蔵さんが多い。そのお地蔵さんの祭りの「地蔵盆」も京都では盛んだ。


行住院

やがて行住院というお寺が現れる。安土桃山時代天正元年の創建という浄土宗の古刹だ。

当初は別の名だったが、宮良純親王からこの名を賜ったという。宮家ゆかりのお寺でもある。


早速、見てみよう。




行住院(その1)。正面には見事な山門があった。その左奥には薬師堂、右奥には大日堂があり、それぞれ薬師如来大日如来を祀ってあるらしい。




行住院(その2)。中に入ると、整備された美しい庭園があった。その正面には特徴的な屋根の本堂が見える。




行住院(その3)。本堂に近づいてみた。本当に屋根の形が複雑だ。日本の大工さんの技術には恐れいる。

この本堂は江戸時代の明和2年築というから、約250年前の築だ。立派な歴史的建造物と言えるだろう。

さらに近年、"平成の大修理"も行われた。このお寺にはWEBサイトがあって、丁寧に紹介されている。




行住院(その4)。敷地内には蔵もあった。お寺の大事な宝物が収納されているのだろう。ここでは、やはり基礎が高いことに注目したい。


さらに千本通を南下する

千本通の重要性は前に伝えた。平安京朱雀大路だったこと。天皇の座す大内裏の真正面に至ること。まさに中心街路だった。

平安時代が終わると、朱雀大路の役割も終わり、千本通と名を変えた。しかし羅城門に至る道路という重要性は変わらなかった。


京都と大阪を結ぶ重要街道となった。僕らは大阪方面へ南下しよう。




すぐにお地蔵さんが現れた。岩ノ本町57地蔵尊というらしい。




また良い感じの蔵があった。外壁は直されているが、相当古いだろう。




ここで道路は、ちょっとクランク気味に曲がっているようだ。僕らはそのまま南下しよう。


浄禅寺

クランク交差点の角に、浄禅寺というお寺がある。平安時代の1182年(寿永元年)の開山と伝えられる古刹だ。正式名称は、浄土宗西山禅林寺派・総本山永観堂末刹寺・恵光山浄禅寺という。早速見てみよう。




浄禅寺(その1)。立派な山門が現れた。左側に「南無延命地蔵大菩薩」と掘られた巨大石柱がある。ここは「京の六地蔵」の一つ、「鳥羽地蔵」のお寺としても有名だ。




浄禅寺(その2)。山門の右側には「恋塚浄禅寺」と掘られた石碑もあった。普段そう呼ばれているらしいが、「恋塚」とは、何か"いわく"ありげだ。

平安時代の武士、遠藤盛遠は人妻に恋して、その夫を殺して妻を略奪しようとした。気づいた妻は一計を案じ、夫の身代わりとなって殺された。

それを知った遠藤盛遠は、自らの罪を悔いて出家し、全国を修行して回り、妻の菩提を弔うため、当寺を開いたという。それ故、恋塚とは妖異也。




浄禅寺(その3)。正面には六角堂があった。ここには地蔵菩薩像が安置されている。何と小野篁(おのの たかむら)ゆかりの地蔵尊らしい。小野篁はかつて散々訪ねて回った。

平安時代小野篁が初めて冥界へ行った際に、地蔵尊を拝んだことで蘇った。そのため六体の地蔵を彫ったのだが、その内の一つとの事。予想外に小野篁と出会えて嬉しい。




浄禅寺(その4)。こちらが本堂。本尊の阿弥陀如来立像が安置されているらしい。




浄禅寺(その5)。手水舎は素朴で良い感じだ。地蔵地下水という名前で、「飲めます」と書いてある。さすが地下水の豊富な京都らしい。

それにしても、このお寺では、予想外に様々なものに出会えた。特に小野篁は研究していただけに嬉しい。さすが千本通、という他ない。


千本通は素晴らしい

ここからまた千本通を南下する。それにしても、千本通がこれほど凄いとは思いもよらなかった。歴史的に重要な街道とは知っていたが、次から次へと"異界"が現れる。本当に千本通は素晴らしい。




浄禅寺を越えて歩き始めると、またすぐ左側に立派な蔵が建っていた。やはり基礎の石積みが非常に高いことに注目したい。ここは鴨川と桂川の合流エリア。常に浸水と隣り合わせなのだ。




また左側に良い感じの町家。2階の虫籠窓が素晴らしい。やはり基礎が高いのが特徴だ。




続いて右側に、素晴らしい町家が現れた。紅殻(べんがら)色と白漆喰の対比が非常に美しい。保存状態も良さそうで、大事に使われていることが窺われる。




美しい町家の左端にお地蔵さんもあった。西浦町地蔵尊というらしい。こちらも花が手向けられ、信仰が続いていることが窺える。




しばらく歩くと、また左側に良い感じの町家。二軒並んでいるうち、左側は江戸末期か明治、右側は昭和だろうか。

それと、共産党のポスターが貼ってあるが、実は京都各地で見かけた。京都は共産党が強い、という事がよく分かる。


小枝橋に近づいてくる

千本通は、「明治維新を歩く」でも取り上げた。京都と大阪を結ぶ街道だったので、官軍と幕府軍が衝突した戊辰戦争の舞台となったのだ。

大阪から千本通を北上してきた幕府軍と、京へ入れまいとする官軍。彼らは、この先の小枝橋付近で戦った。それを「小枝橋の戦い」という。




小枝橋に近づいてきた。この辺りになると、街道沿いに畑が多くなる。鴨川と桂川という二大河川の合流エリアなので、肥沃な土壌なのだろう。




今度は左側に、また良い感じの町家だ。二軒連なっているうちの左側は、ファサードのタイルが特徴的で面白い。

右側は、2階の虫籠窓の雰囲気から、江戸末期か明治初期といったところだろうか。どちらも本当に素晴らしい。




さらにしばらく歩き続けると、高速道路の高架橋が見えてきた。名神高速道路だ。その下をくぐろう。




高速をくぐると、すぐ左側に小枝橋が現れた。かつて戊辰戦争の舞台となった旧小枝橋は、この右手にあったらしい。今は新しい小枝橋ができて、古い橋は壊された。


さて今から、この新しい小枝橋を渡って、戊辰戦争の舞台へ向かおう。


<最終回/竹田の子守唄を歩く(その4)~竹田編~へ続く>


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